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  • 第2話

    あの日、空白の名簿が起きた瞬間、私は動けなくなりました

    裏口の鍵穴から、細い金属片を抜き取った指先が震えていました。
    工具でも、針金でもない。合鍵を作るための“途中の欠片”。それが、なぜここにある。

    私は事務スペースへ戻り、スタッフ用フォルダを開きました。譲渡記録、健康管理表、来店履歴――どれも見慣れた紙のはずなのに、胸の奥がざわつく。
    一番下に、見覚えのない薄いファイルが挟まっていました。ラベルは手書きで、こうある。

    「猫番号表」

    ページをめくる。1から20まで、整然と並ぶ番号。
    でも――13だけが、空白。

    「……おかしい」
    番号管理なんて、していない。なのに“表”がある。そして、13だけが抜け落ちている。
    私は無意識に、さっき外した首輪の金具を取り出しました。刻印は確かに「13」。
    存在しない番号が、存在を主張している。

    背後で、椅子がきしむ音。
    振り返ると、20代スタッフのミオが立っていました。
    「それ、何ですか?」
    声は柔らかい。でも、視線が金具から離れない。

    「昔の資料よ。気にしないで」
    そう言うと、彼女は一瞬だけ眉をひそめ、すぐ笑顔に戻りました。
    「13って、不吉ですよね」
    その言い方が、まるで“知っている”みたいで、私は答えられませんでした。

    閉店後、私は防犯カメラのログを確認しました。
    裏口、レジ、猫スペース――すべて異常なし。
    ただ一つ、19時28分から29分まで。毎日、同じ1分間だけが欠落している。

    偶然じゃない。編集されている。
    編集できるのは、管理会社か、警備か――内部の誰か。

    私は猫たちを数えました。
    20匹。全員いる。
    でも、正座みたいに座るルナだけが、視線を裏口へ向けたまま動かない。
    その足元に、昨日と同じ、肉球みたいなインクの滲み。
    拭いても、完全には消えない。

    その夜、譲渡書類を整理していると、同じインクの滲みが別の紙にもあることに気づきました。
    滲みの形、間隔――同じ“足取り”。
    誰かが、同じ“型”で押している。

    最後に残った1枚。譲渡先住所。
    第1話で落ちた、あの住所。
    私は指でなぞり、気づいてしまいました。
    番地の書き方が、古い。
    今は使われていない表記。私が知っているのは――ずっと昔、このビルが建つ前から、ここに関わっていた人間だけ。

    時計を見る。
    19時27分。
    胸が、きゅっと縮む。

    その瞬間、店内のBGMが――ぷつり、と切れました。
    19時28分。

    私は動けなくなりました。
    恐怖じゃない。合図だ。
    かつて、同じ合図を使ったことがある。忘れたふりをしていただけで。

    裏口のドアが、静かに開く音。
    入ってきたのは、人ではありませんでした。
    首輪をつけた、見覚えのある背中。

    ――譲渡済みのはずの猫。

    その首輪の金具に、同じ刻印。
    「13」。

    猫は振り返らず、まっすぐ奥へ歩いていく。
    私は、その後を追うべきか、追ってはいけないのか――まだ、動けずにいました。

    次回:防犯カメラが映さない“1分間”に、誰が猫を連れ出すのか。

  • あの日私は動けなくなりました 第1話

    あの日譲渡用の首輪を見た瞬間、私は動けなくなりました

    あの日――閉店前の店内は、オフィス帰りの客が引けて、猫たちの喉が鳴る音だけが残っていました。
    私はレジ横で譲渡希望の書類を整え、20匹の猫スタッフを数えます。いつもと同じ、のはずでした。

    「ミケ、ルナ、チャイ……」
    最後にいつも正座みたいに座る青い目のルナを見て、私は手を止めました。ルナの首輪だけ、金具が新しい。しかも、譲渡用の仮タグが付いている。今日は譲渡面談の予定なんて、入っていない。

    「え……誰が付けたの?」
    思わず声に出すと、奥で掃除していた20代スタッフのユイが顔を上げ、笑いました。
    「かわいいから、試しに。ダメでした?」
    軽すぎる返事。私は胸の奥が冷えるのを感じました。譲渡用タグは、勝手に触っていい物じゃない。保護猫の履歴は命綱です。

    私は首輪を外そうとルナに手を伸ばした瞬間、ルナがふっと視線を入口ではなく、裏口へ向けました。
    その目が、まるで「来る」と言っているみたいで――私は動けなくなりました。

    裏口のドアが、カタン、と小さく鳴ったのです。鍵は閉まっているはず。
    それなのに、ドアの隙間から冷たい風が入り、店のBGMがぷつりと途切れました。時計を見ると、19時28分。なぜか、私は「またこの時間だ」と思ってしまう。

    「今、鳴りましたよね」
    私が言うと、ユイは笑顔のまま、モップを止めません。
    「風じゃないですか?このビル、隙間風すごいし」

    風で、鍵が鳴る?
    私は裏口へ一歩近づき、床を見ました。
    そこには、濡れた足跡――ではなく、肉球みたいな形のインクの滲みが点々と続いています。まるで、誰かが“猫の足”を使って、ここを歩いたみたいに。

    ルナの首輪の金具に、小さな刻印がありました。
    「13」。

    うちの猫は20匹。番号管理なんてしていない。
    なのに、なぜ“13”――?

    私はゆっくり首輪を外し、手のひらで金具を握りしめました。冷たすぎて、指が痛い。
    そのとき、レジ下の譲渡書類の束から、1枚だけ滑り落ちます。

    そこに書かれていた譲渡先住所は――このオフィス街の、同じビルの上階でした。

    そして、裏口の鍵穴に、見慣れない細い金属片が刺さっている。
    私は気づいてしまった。これは風じゃない。誰かが、今この店に入った。入るために、猫を使った。

    ユイがこちらを見ました。
    「店長代理、どうしました?」
    その呼び方――私は、胸の奥がさらに冷えました。私は店長代理じゃない。

    ……じゃあ、今この子は、誰を見て言ったの?

    次回:首輪の刻印“13”が示す、店の「もうひとつの名簿」

  • 第5話

    あの日、偽物の毛が起きた瞬間、私は動けなくなりました

    倉庫の床に落ちた白い毛を、私は指先でつまんだ。軽い。静電気みたいに、皮膚にまとわりつく。
    でも――匂いがない。猫の毛は、もっと生き物の匂いがする。洗剤でも、柔軟剤でもない。無臭の“材料”のようだった。

    「それ、猫の毛ですか?」
    背後からユイの声。いつもの明るさをまといながら、芯だけが冷たい。

    「違うわ」私は毛を封筒に入れた。「撒かれたものよ。誰かが、ここを猫の仕業に見せたいの」
    ユイは笑った。「猫って、何でも許されるから便利ですよね」

    その言い方に、私の背中が固まる。便利。命を便利で片づける人間の声音だ。
    私は倉庫の隅に並ぶ空箱を見た。精密機器。宛名もシリアルも剥がされている。運び出しの痕跡を消すやり方――私が昔、見慣れたやり方。

    ふと、通路の壁にある小さな換気口に目が止まる。猫が鼻先を入れる程度の隙間。そこに、同じ白い毛が引っ掛かっていた。
    “通った”のではない。“擦り付けた”のだ。

    私は封筒をポケットに入れ、ユイを見た。
    「あなたたち、猫を守ってるふりをして、猫で隠してる」

    ユイは答えず、視線だけで私を測った。
    その瞬間、廊下の奥から、軽い鈴の音がした。首輪の鈴。
    ――刻印13の猫が、また戻ってきている。

    私は動けなくなった。
    この店は、猫が戻る場所じゃない。戻される場所だ。

    次回:スタッフ4人の“同時に重ならない”シフトが暴く、もう一人の存在。

  • 第4話

    あの日、扉の向こうの名前が起きた瞬間、私は動けなくなりました

    ドアノブは、ひどく冷たかった。
    上階テナントの扉には、磨かれた真鍮のプレートがはめ込まれている。会社名は短く、簡素。けれど私にとっては、胸の奥に長い影を落とす名前だった。

    ――もう使わない、と決めたはずの名前。
    若い頃、私はその名の下で働き、そして、黙って去った。

    ノックをする前に、扉が内側から開いた。
    受付の女性が、私を見るなり一瞬だけ息を詰める。
    「……ご予約は?」
    声は整っている。でも、目が泳いだ。

    「下の猫カフェの者です」
    そう告げると、彼女の視線が、私の手元へ落ちた。
    指先に握っていた――古い鍵。
    私がなぜ持っているのか、説明できない鍵。

    「その鍵……」
    彼女は言いかけて、口を閉じた。
    代わりに、作り笑いで通路を示す。
    「どうぞ。少しだけなら」

    廊下は静かで、機械の低い唸りだけが聞こえる。
    壁に貼られた避難経路図を見て、私は足を止めた。
    このビルの“裏”の通路――猫が通れる幅で描かれている。
    そんな設計、普通はしない。

    「この通路、前からありました?」
    問いかけると、女性は一拍遅れて答えた。
    「……はい。ずっと」

    嘘だ。
    私は、ここが改装される前を知っている。

    通路の突き当たりに、小さな倉庫があった。
    扉には鍵穴。
    私は、無意識に古い鍵を差し込んでいた。

    ――回ってしまった。

    中には段ボールが積まれている。猫用品の箱……ではない。
    精密機器の空箱。シリアルは剥がされ、宛名は消されている。
    床に落ちた、白い毛。
    私は指で摘み、鼻に近づけた。

    猫の匂いがしない。

    ブラシで集めた毛だ。
    同じ猫の毛を、同じ場所に撒いている。
    誰かが、“猫が出入りした”証拠を作っている。

    背後で、衣擦れの音。
    振り返ると、ユイが立っていた。
    「店長代理、探検ですか?」
    その呼び方。第1話と同じ。
    私は、静かに答えた。
    「違う。私は、昔の忘れ物を取りに来ただけ」

    ユイは笑った。
    でも、その笑顔は、倉庫の奥――壁の一部に向けられている。
    私は気づいた。壁の色が、微妙に違う。
    押すと、沈んだ。

    隠し扉だ。

    中は、さらに細い通路。
    床に、あの肉球みたいな滲みが続いている。
    そして、首輪。
    刻印13の金具が、いくつも。

    「猫のせいにするの、うまいでしょ?」
    ユイの声が、低くなる。
    「記録に残らない一分。運ぶのは軽い。責められるのは、猫」

    私は息を整えた。
    「あなたたちの目的は何?」
    ユイは答えなかった。代わりに、問いを返す。
    「本当に、思い出してないんですか。19時28分」

    BGMが、どこか遠くで途切れる音。
    時計を見る。
    19:28。

    胸が締めつけられる。
    私は知っている。この合図を。
    最初に決めたのは、私だった。

    隠し通路の奥で、機械が起動する音。
    搬入口へ続くドアが、開いた。

    次回:倉庫の奥で見つかる“毛の正体”が、犯人を裏切る。

  • 第3話

    あの日、映らない一分間が起きた瞬間、私は動けなくなりました

    裏口から入ってきた猫は、音も立てずに歩いていました。
    床に残る肉球みたいな滲みが、まるで道標のように奥へ続く。私は距離を保ち、息を殺して後を追います。追いかける、というより――確かめる、が近い。

    猫はスタッフルームの手前で立ち止まり、振り返らずに座りました。正座みたいに。
    ルナと同じ仕草。違うのは、首輪の刻印だけ。「13」。

    私は手を伸ばしかけ、止めました。
    この一分間は、防犯カメラに映らない。
    つまり、ここで起きることは、記録されない。

    「……誰が連れてきたの」
    独り言が、壁に吸われます。返事はありません。

    私は事務机に置いたノートを開き、昨日のメモを確認しました。
    〈19:28 BGM断絶/裏口/13〉
    同じ言葉が、別のページにも書かれている。私の字……のはずなのに、線の癖が微妙に違う。
    誰かが、私の続きを書いている。

    そのとき、足音。
    振り向くと、20代スタッフのナナが立っていました。
    「まだ帰らないんですか?」
    柔らかい声。けれど、視線は猫に固定されている。

    「この子、戻ってきたみたい」
    そう言うと、ナナは一瞬だけ、口元を引き結びました。
    「……譲渡、取り消しですか?」
    その言葉の選び方。まるで、順序を知っている。

    私は答えず、カメラのモニターを指しました。
    「この一分、どうして毎日欠けるの?」
    ナナは肩をすくめます。
    「機械のクセじゃないですか。古いし」

    古い。
    私はその言葉に引っかかりました。
    このシステムは、半年前に更新したはず。古いのは、設定だけ。

    猫が立ち上がり、棚の下へ鼻先を差し込みました。
    引きずり出されたのは、黒い小袋。首輪に付けるサイズ。
    私は指先で開き、中を覗いて、息を止めました。

    メモリカード。

    「それ……何ですか」
    ナナの声が、少し低くなる。

    「猫のものじゃない」
    私は言い切りました。
    カードの角に、極小の刻印。
    ――13。

    私は再生を押します。
    映像は、ビルの搬入口。
    時刻表示は、19:28。
    人影が二つ。顔はフレーム外。だが、片方の手に見覚えのある指輪が光りました。

    心臓が、嫌な音を立てます。
    その指輪を、私は知っている。

    映像が途切れる。
    同時に、店内のBGMが戻る。
    19:29。

    「見なかったことにしませんか」
    ナナが、静かに言いました。
    「猫のためです。ここ、守りたいでしょ?」

    “猫のため”。
    その言葉が、盾になることを、彼女は知っている。

    私はカードをポケットに入れました。
    「今夜は、私が預かる」
    そう言うと、ナナは小さく頷き、視線を外しました。
    その仕草が、了承ではなく、確認に見えたのは、気のせいでしょうか。

    閉店後、私は一人で上階へ向かいました。
    譲渡先住所の、あのフロア。
    エレベーターを降りると、会社名のプレートがありました。

    ――その名前を見た瞬間、私は理解してしまった。
    これは偶然じゃない。

    その会社名は、ずっと昔、私が捨てたはずの名前。
    そして、あの指輪をつけていた人間が、そこに属していた。

    背後で、エレベーターの扉が閉まる音。
    私は振り返らずに、ドアノブへ手を伸ばしました。

    次回:上階テナントの扉が開いた瞬間、私は“過去”と再会する。

  • 第2話

    あの日、空白の名簿が起きた瞬間、私は動けなくなりました

    裏口の鍵穴から、細い金属片を抜き取った指先が震えていました。
    工具でも、針金でもない。合鍵を作るための“途中の欠片”。それが、なぜここにある。

    私は事務スペースへ戻り、スタッフ用フォルダを開きました。譲渡記録、健康管理表、来店履歴――どれも見慣れた紙のはずなのに、胸の奥がざわつく。
    一番下に、見覚えのない薄いファイルが挟まっていました。ラベルは手書きで、こうある。

    「猫番号表」

    ページをめくる。1から20まで、整然と並ぶ番号。
    でも――13だけが、空白。

    「……おかしい」
    番号管理なんて、していない。なのに“表”がある。そして、13だけが抜け落ちている。
    私は無意識に、さっき外した首輪の金具を取り出しました。刻印は確かに「13」。
    存在しない番号が、存在を主張している。

    背後で、椅子がきしむ音。
    振り返ると、20代スタッフのミオが立っていました。
    「それ、何ですか?」
    声は柔らかい。でも、視線が金具から離れない。

    「昔の資料よ。気にしないで」
    そう言うと、彼女は一瞬だけ眉をひそめ、すぐ笑顔に戻りました。
    「13って、不吉ですよね」
    その言い方が、まるで“知っている”みたいで、私は答えられませんでした。

    閉店後、私は防犯カメラのログを確認しました。
    裏口、レジ、猫スペース――すべて異常なし。
    ただ一つ、19時28分から29分まで。毎日、同じ1分間だけが欠落している。

    偶然じゃない。編集されている。
    編集できるのは、管理会社か、警備か――内部の誰か。

    私は猫たちを数えました。
    20匹。全員いる。
    でも、正座みたいに座るルナだけが、視線を裏口へ向けたまま動かない。
    その足元に、昨日と同じ、肉球みたいなインクの滲み。
    拭いても、完全には消えない。

    その夜、譲渡書類を整理していると、同じインクの滲みが別の紙にもあることに気づきました。
    滲みの形、間隔――同じ“足取り”。
    誰かが、同じ“型”で押している。

    最後に残った1枚。譲渡先住所。
    第1話で落ちた、あの住所。
    私は指でなぞり、気づいてしまいました。
    番地の書き方が、古い。
    今は使われていない表記。私が知っているのは――ずっと昔、このビルが建つ前から、ここに関わっていた人間だけ。

    時計を見る。
    19時27分。
    胸が、きゅっと縮む。

    その瞬間、店内のBGMが――ぷつり、と切れました。
    19時28分。

    私は動けなくなりました。
    恐怖じゃない。合図だ。
    かつて、同じ合図を使ったことがある。忘れたふりをしていただけで。

    裏口のドアが、静かに開く音。
    入ってきたのは、人ではありませんでした。
    首輪をつけた、見覚えのある背中。

    ――譲渡済みのはずの猫。

    その首輪の金具に、同じ刻印。
    「13」。

    猫は振り返らず、まっすぐ奥へ歩いていく。
    私は、その後を追うべきか、追ってはいけないのか――まだ、動けずにいました。

    次回:防犯カメラが映さない“1分間”に、誰が猫を連れ出すのか。

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